サッカー日本代表に選出されている旗手怜央(はたて れお)選手。
Jリーグからスコットランドの名門「セルティック」に移籍し活躍されています。
旗手選手についてリサーチすると、「父親が偉大!」という情報が出てきます。
今回はそんな旗手選手の父親について解説していきます。
旗手怜央の父親は元PLの甲子園準優勝選手!
旗手選手の父親は、旗手浩二(はたてこうじ)さん。
息子の旗手選手とは異なり、社会人まで野球を続けられていました。
浩二さんは高校は、野球の名門PL学園に進学し、甲子園にも出場。
1983年に甲子園優勝、1984年には春夏連続準優勝という偉業を達成しています。
KKコンビとして有名な、清原和博選手・桑田真澄選手の1年先輩にあたり、ともにプレーしていました。
旗手父ってPL出身だったのかΣ(゚ω゚ノ)ノ https://t.co/cgZhnOoyFf
— khⅩⅥ(16)10/21ニッパツ三ツ沢球技場 (@kh_xvi_10_25) September 1, 2020
高校卒業後は、法政大学〜社会人野球の「本田技研鈴鹿(現・Honda鈴鹿)」に進み、社会人まで野球を続けていました。
現役時代には、都市対抗野球大会への出場や、アジア野球選手権大会の日本代表にも選ばれています。
現役引退後は、本田技研鈴鹿の監督を務めるなど、野球のエリートです。
旗手選手もインタビューで、「物心ついた頃には、父親が野球選手で、野球がうまいこともわかっていた」と語っています。
旗手怜央と父親の幼少期のエピソード
旗手選手にとって、浩二さんは「偉大な父親」であると同時に、「いつも背中を押してくれる強力なサポーター」だったようです。
それがわかるエピソードを紹介します。
「旗手の息子」と言われるの悔しかった。
旗手選手は高校サッカーの名門静岡学園の出身です。
高校時代の活躍が認められ、初めてメディアから取材を受ける機会があったときのことです。
初めての取材ということもあり、期待して記事を見ると半分以上が、高校球児として活躍した父親のことが書かれていたそう。
そのときのことを旗手選手は、
サッカーで父親を抜いたと思えるほどの活躍をしなければ、ずっと父親のことを書かれるのだろうとも感じた。
それくらい高校時代に甲子園で準優勝を経験し、社会人野球の選手としても活躍した父親は、自分にとって簡単に超えることのできない存在だった。
自分もサッカーでプロを目指そうと思えば思うほど、その背中は大きく感じられた。
web Sportiva
と答えています。
野球を押し付けずにサッカーを応援
旗手選手は小学校からサッカーを始めました。
野球を勧められてことは一度もなく、サッカーを始めてからは「頑張れよ」といつも応援してくれていたそうです。
また、旗手選手が高校生になるまで、父親が甲子園で活躍した選手と知らなかったそう。
その部分から、浩二さんが自分の経歴を自慢するような人柄でないことが伝わりますね。
旗手選手の心に残っている2つの教え
浩二さんからは、競技が違うこともあり、プレーについてのアドバイスや指摘はなかったそうです。
それでも「継続は力なり」と「道具を大切にしなさい」という教えは旗手選手の心に強く残っています。
プロになった現在でも、練習後や試合前のスパイク磨きは自分で行い、いつも綺麗にしているそうです。
旗手怜央の母親も運動神経抜群
旗手選手の母親の詳細は公開されていませんが、名前はさゆりさんというようです。
過去にはテニスや、バスケ、乗馬など様々なスポーツをやっていたそうで、運動神経が良かったのではないでしょうか。
実際、息子がプロサッカー選手になっていることからも、運動神経が良かった遺伝子があることは間違いなさそうですね。
旗手怜央の父親は元PLの球児だった!母親も運動神経抜群まとめ
サッカー日本代表として益々活躍が期待される、旗手選手。
今回は旗手選手のお父さんとお母さんについて解説しました。
・父親の浩二さんは、甲子園でも活躍した野球エリート。
・父親が偉大過ぎて、旗手選手が悔しい思いをしたことも。
・旗手選手にとって父親は「偉大な父親」であり「強力なサポーター」。
・母親のさゆりさんも、さまざまなスポーツ経験者。